日本では、7月7日、七夕の夜に「願い事を書いた短冊を笹に飾ると願いが叶う」
という風習がありますが、七夕の起源や歴史はどうなっているのでしょうか?
早速、調べてみる事にしました。
七夕の起源・歴史
七夕が特別な日とすることがいつから起こったかは定かではありませんが、
日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)、中国から伝来した女性が針仕事の
上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)が組み合わさって生まれたものだと
言われています。、中国の南北朝時代(439年-589年)、
織女牽牛伝説(しょくじょけんぎゅうでんせつ)で、牽牛(けんぎゅう)と織姫(しゅくじょ)
が会合する日が、7月7日と明記され、更に、夜に婦人たちが
7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の
上達を祈るようになった事から、江戸時代から日本だけで、
短冊に願い事を書き葉竹に飾ることが行われるようになりました。
織女牽牛伝説(しょくじょけんぎゅうでんせつ)とは何か?
むかしむかし、天帝という神様が星空を支配していたころ、
天の川の西の岸(おり姫星)に、織女(しゅくじょ)という天帝の娘が住んでおりました。
織女は機織り(はたおり)がたいへん上手で、とても働き者でした。
また、天の川の東の岸(ひこ星)には、牽牛(けんぎゅう)という牛のめんどうをよく見る
青年が住んでいました。天帝は、くる日もくる日も、働いてばかりいる娘を
心配して、まじめな青年、牽牛に対して娘との結婚を持ちかけました。
牽牛は天帝様に対して、「天帝様、私のような者には、
夢のようなお話しでございます。ありがたくお受けさせていただきます」と、
返事をし、2人はめでたく夫婦となりました。
ところが、一緒に暮らすようになると、2人は朝から晩まで天の川の
ほとりでおしゃべりばかりをして、「仕事をするように」と天帝が指摘しても
仕事を始める様子がない為、天帝はとうとう、2人を引き離し、1年に1度、
7月7日の夜だけ、天の川を渡って、会うことを許しました。
今でも、2人は7月7日に逢えるのを楽しみにして天の川の両岸で
輝いています。とってもロマンティックなお話しですね!!
※おり姫星とひこ星は、7月7日前後の午後9時過ぎに東の空を見上げれば
見つける事ができます。(とくに明るい2つの星がおり姫星とひこ星です。)
北寄りにあって、先に昇ってくる明るい方の星がおり姫星です。その右下
に見える明るい星がひこ星です。せっかくですから、七夕の日には、
夜空を見上げてみるようにしましょう。
七夕(たなばた)の語源・由来は?
@日本の「たなばた」の語源は日本最古の歴史書「古事記」(712年)で
日本神話の神である「アメノワカヒコ」が死に、アヂスキタカヒコネが来た折に
詠まれた歌にある「淤登多那婆多(たなばた)」(弟棚機)
A日本の歴史書『日本書紀』(720年)の1書第1にある「乙登多奈婆多(たなばた)」
Bお盆の精霊棚とその幡(はた-布などを材料として高く掲げて目印や
装飾とした道具の事)から「棚幡(たなばた)」という言葉が生まれました。
※「多那婆多・多奈婆多」が何を指しているか調べてみた所、
織女(しゅくじょ)の事を指している事がわかりました。
童謡「たなばたさま」に関する豆知識
童謡「たなばたさま」は昭和16年(1941年)3月に文部省発行の
「うたのほん 下」に掲載された唱歌です。
作詞:権藤はなよ(こんどうはなよ-1899年-1961年)、補作詞:林柳波
作曲:下総皖一(しもうさかんいち-1898年-1962年)が手がけました。
「たなばたさま」の歌詞にある「五色(ごしき)の短冊」の五色(ごしき)とは、
中国の五行説にあてはまる五色で、青(緑)・紅・黄・白・黒の事を言います。
中国では短冊ではなく五色の糸をつるし、芸事の上達を願います。
※五行説とは・・・万物は木(青/緑色)・火(紅色)・土(黄色)・金(白色)・
水(黒色)の5種類の元素からなるという説の事を言います。
下記は童謡「たなばたさま」の動画です。
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