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なぜ「こいのぼり(鯉のぼり)」を空に掲げるの?(歴史・由来・期間)

日本の不思議な文化の1つに「鯉のぼり」という文化があります。

4月中旬頃から5月中旬頃に見かけますが、

なぜ鯉(こい)なのでしょうか?そもそもなぜ鯉(こい)を

掲げる必要があるかもわかりませんし、

なぜ鯉(こい)なのかもわかりません。別に

「サケ」でも「フナ」でもいいような気がします。

そこで、早速、「鯉のぼり」に関する身近な疑問を調べてみましたです。


@いつから、鯉を空に掲げるようになったのか?

日本の風習で、江戸時代に武家で始まった習慣です。

紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、

風をはらませてなびかせる事で、男児がどんどん

鯉が登るように出世
できるよう、そして、

鯉が元気よく風になびくように健康に育つ事を

祈って掲げられました。


Aなぜ「鯉(こい)」なのか?

中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、

黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みた

が鯉のみが登り切り、竜になることができたことから鯉が出世の象徴

となり、鯉が飾られるようになりました。「フナ」や「サケ」では

出世できないんですね。

※後漢書とは・・・中国後漢朝について書かれた歴史書です。

范曄(はんよう、398-445年)が書きました。

※故事とは・・・遠い過去から今に伝わる、

由緒ある事柄の事を言います。



Bポールの上につける「矢車」、5色の吹流しは何?


矢車の歴史

ポールの上につける「カラカラ回る物:矢車」ですが、

あれは、江戸時代末期に「駕籠玉(かごだま)」と

言われる、派手で豪華(金箔等)な玉を飾り始めたのが

始まりです。男児の出世を願う為のものである為、

派手である必要があった訳です。


吹流しの歴史

江戸時代中期、武家の家では、


男児の立身出世・武運長久を祈る為、

玄関に旗指物(のぼり)を飾る行事がありました。

それに対抗して商人の家庭では、

のぼりの代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを

美々しく飾るようになりました。その後、流しを飾るだけでは

芸がないと考えたのか、一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、

吹流しに鯉の絵を描くようになりました。

つまり、「鯉(こい)のぼり」よりも「吹き流し」の方が

歴史が古かった
のですね。


C鯉(こい)は何匹、必要なのか?


「鯉のぼり」が誕生した江戸時代末期には

真鯉(黒い鯉)だけでしたが、その後、

明治時代から真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい)の対で掲げる

ようになり、昭和時代からは家族を表すものとして

子鯉(青い鯉)が追加されました。

最近では女児を表したオレンジ鯉や緑の鯉まで誕生しており、

家族全員分の鯉を掲げる家も増えてきました。

家族全員の出世・健康を願うなら家族全員分

掲げた方が効果がありそう
ですね。


C鯉(こい)を掲げる期間はいつからいつまでか?

現代では4月下旬から5月5日までの20日間程度

掲げるのが一般的です。
(江戸時代の頃は旧暦の5月5日まで飾っていました。)

全国の「鯉のぼり」イベントも

4月20日頃〜5月5日までの間で行われる場合がほとんどです。
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